【その2】スカウトハットと半ズボン

スカウトハット

かつての“正帽”スカウトハット

 「ボーイスカウト」のシンボルの一つに独特のユニフォームがあります。私も含めて、現在のお父さんお母さん年代の方が、まず頭に浮かべるスカウトのユニフォームとは、「つばの広い帽子とカーキ色の半ズホン」姿ではないでしょうか。

 日本のボーイスカウトの「正装」が、現在のように「グリンのベレー帽に長ズボン」となったのは平成2年のことで、それ以前はスカウト運動の創始者B-P卿の肖像(下左)でおなじみの制服が「正装」とされていました。現在「正帽」となっているベレーは「副帽」の扱いで、正式なセレモニーや指導者の研修の際などは、つば広の「スカウトハット」と、半そで半ズボンの着用が義務付けられていました。

 この特徴的なユニフォームの由来はスカウト運動の発祥以前に遡ります。イギリスの軍人であったB-P卿が、南アフリカでズールー人と戦った時に着用したのがつばの広い帽子でした。この帽子は強い直射日光から首を守り、ジャングルの中では木の枝から顔や目を守ることが出来、「斥候術」(Scouting)を遂行するのに好都合でした。また、半ズボンはすそが濡れずに、ハイソックスと併用することでアクティブな動きに対応出来ました。このスタイルはB-P卿が創設した南アフリカの警察隊で採用され、のちにスカウト活動に取り入れられ、そのまま日本にも伝わったわけです。

 私たちがスカウトの頃、スカウトハットは雨天時の活動に便利だった他、野外料理の火起こしの時には、広いつばを両手で持ち「うちわ」代わりに大活躍しました。生地が厚かったので、ハットで水を汲んだというツワモノさえいたようです。このように酷使しますから、入隊の時にピカピカの新品だったハットは、最初の夏のキャンプが終わる頃には見る影もなくベロベロになります。その様子から「ルンペン帽」などともいわれました。

 また、スカウトハットは頭部の前後左右に凹みをつけ、先端を尖らせるのですが、私たちは何故か皆「いかに先を尖らせ・固くするか」を競い合い、内側からロウを垂らしたり、ニスを塗ったりして先端をカチカチに固めました。行動が遅かったりすると先輩のハットの先で「ゴツン」とやられるのですが、これが想像以上に痛いもので、班長や次長の年季の入った「先はカチカチ・つばはベロベロ」の「ルンペン帽」は、下級のスカウトには恐怖の的でもありました。

 半ズボンのユニフォームは、夏はよいのですが真冬の活動では寒いことこの上なく(当時、鎌倉5団のボーイ隊のメインフィールドは季節の別なく西丹沢でした)、また中学生も終わり頃になると「ハズカシイ」という気持ちが先に立ち(今のようにハーフパンツが市民権を得ていませんでしたから……)、仲間内では不評でした。更に、リーダーたちの半ズボン姿は、正直お似合いの人とそうでない人の差が歴然しており(大村前団委員長の半ズボン姿はお世辞ヌキで「お似合い」の方に入ります)、少なくともアダルトにとっては今の長ズボン姿の方が、スカウト運動の普及のためにも無難であると感じています。

 ハットも半ズボンも姿を消し、スカウトのユニフォームは随分洗練されたもの?(何しろDesigned by RALPH LAUREN!!)となりましたが、何故か集会の往き帰りに公衆の面前で私服に「改服」する習慣は直らないようです。

 スカウトの身上は「姿も行ないもスマートである」ことです。これは、B-P卿がスカウティングの中に伝統的な「騎士道」や「英国紳士」の教育を取り入れ、「スマートネス」を説かれた伝統を引き継ぐものです。

 今でも、スカウトのユニフォームは、「ちかい」をたてた者だけが着用することを許される、スカウトの名誉を象徴するものです。ユニフォームを大切に扱い、きちんと着こなすことは、この「スマートネス」を実践し、スカウトの名誉を守ることに通じます。

 ピシッとユニフォームを着こなしたボーイやベンチャーは、今でも幼いビーバーやカブの「あこがれ」であるはずです。年長のスカウト諸君には、家を出る前にしっかりとユニフォームを着て、鏡の前で最終チェックをするくらいの「紳士」であって欲しいと思っています。

(GL:たいま)

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