【その6】個性教育と規律訓練

規律

鎌倉第5団のセレモニー

 これまで繰り返し述べて来たことですが、ボーイスカウト運動は「個性を伸ばす」社会教育運動です。しかし、この運動をよくご存知ない方からは、「集団教育」をもっぱら行っていると思われがちです。その大きな原因にユニフォーム=制服姿と、秩序立った行動様式の「イメージ」があることは、ほぼ間違いないでしょう。(スカウトのユニフォームが、実用性とスマートネス教育に由来し、スカウトの「名誉」を象徴するものであることは「マメ知識 その2」で詳しく述べましたのでここでは割愛します)

 確かに、スカウトの活動では、隊や班・組単位で「整列」し、「気をつけ」「休め」「敬礼」といったいわゆる「基本動作」を身に付ける規律訓練を行い、活動に際してはセレモニー(儀礼)を励行しています。その印象から、スカウティングは「集団教育」であり、極端な場合には「軍事訓練」だと誤解する人もいるくらいです。

 しかし、「基本動作」に代表される規律訓練には、そのような表面的な印象とは程遠い、教育上の「ねらい」……目的があります。ボーイスカウトの創始者B-P卿は、「スカウティングは少年たちにとってはゲームである」といいました。どんなゲームにも必ず、ルールがあります。仲間と協力して楽しくゲームを進めるためには、チームの全員がそのルールをしっかりと守らなければなりません。ましてや、スカウティングのフィールドは、野外であったり、街中であったりします。時に「大自然の危険」と隣り合わせで、あるいは地域社会の「衆人環視」の中で、ゲームをスマートかつダイナミックに展開するためには、チーム全員が主体的にルールを遵守し、チームの秩序が保たれていなければならないわけです。それは、成熟した市民社会が、素晴らしい「個性」と能力を持った市民一人ひとりの自主性によって、その秩序を保つことと同じなのです。

 スカウト活動における規律訓練は、この「ルール」を守る心を、体験によって養うとともに、ユニフォームの着用同様に紳士的な「スマートネス」を身に付けるために行われます。秩序立った、折り目正しい行動は、周囲の人々から信頼される第一歩であり、その信頼こそがスカウトの「名誉」であることは、「ちかい」と「おきて」のお話の中で述べたところです。

 この規律訓練が、「押し付け」の単なる集団教育であれば、アクティブで多感な少年たちが唯々諾々と従うはずはありません。この規律訓練でさえ、実は少年たちが主体的に身に付けられるよう、「ゲーム化」されているのです。スカウトの集会では特殊な効果をねらったセレモニーやデモンストレーション以外で、「気をつけ」「休め」の「号令」がかかることは滅多にありません。指導者や班長の「手信号」で、パッと姿勢を正すのは、スカウト同士でしか判らない「暗号」なのです。現状ではどこの隊でも同じような手信号によっていますが、これも本来は、隊・班によって全く異なっていても問題ないのです。例えば「鎌倉5団ではリーダーがウインクしたら気をつけ」でもよいのです。

 また、ボーイスカウト以上が行う「三本指の敬礼(三指礼)」は、世界中のスカウト仲間で共通する「三つちかい」に由来した「互敬」の挨拶であり、戦時中に全ての青少年運動を国策として統制しようとした軍部の圧力(軍部はスカウトにも一般的な「五指敬礼」を強要した)にも屈しなかった逸話は、スカウトの規律は押し付けよるものでないことをよく表しています。

「子供たちの主体性を抑圧する」といった考え方から、幼児教育や初等教育において昔ほど「規律訓練」は重視されない……むしろ排除されている現状の中で、子供たちは満足に「気をつけ」も「休め」も、ましてや心を一つに合わせて「行進」など出来るはずがありません。一人ひとりがルールを守ることを考えていないチームが、エネルギー任せに暴走した時、どういう結果が生じるかは、不幸なテレビニュースなどで明らかでしょう。

 「個性」を「チーム」の中で活かすための基本となる、「ルールの教育」を今こそ再評価し、平素の活動の中でしっかり・丁寧に実践して行くべきであると、「カラーチーム」の勇姿に羨望の眼差しを向け、又、自分たち自身も誇らしげに隊旗を掲げて春爛漫の若宮大路を「行進」していたスカウトたちを見て確信した次第です。

(GL:たいま)

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