【その8】「ネッカチーフ」のはなし

鎌倉第5団のネッカチーフ

鎌倉第5団のネッカチーフ

 ボーイスカウトのユニフォームに付随する「ネッカチーフ」は、スカウト運動の創始者B-P卿が、イギリス陸軍の騎兵隊に所属していた頃、首に巻いていた布が始まりといわれています。

 「ネッカチーフ」の語源は“Neck Handkerchief”=「首用のハンカチーフ」で、初期のものは、現在私たちが着用しているものよりは大分短く、シャツの第二ボタンに届くくらいの長さであったようです。本来の用途は、「汚れよけ」のためのものであり、首周りの日焼けを防ぎ、ファーストエイド(救急)では三角巾包帯などの代用にもなりました。

 ネッカチーフは本来、スカウトが所属する「隊」ごとに固有のカラー(「隊色」といいます)で作るものとされており、以前にも記しましたが、「隊旗」の地色もネッカチーフと同色を用いることになっています。しかし、現在は「団」で統一したデザインのネッカチーフを着用している例が圧倒的に多く、「隊色」という意識は余りないようです。

  鎌倉5団の場合は、カブスカウト以上は全員「えんじ色」のネッカチーフを着用しますが、この色はボーイ隊の「隊色」です。では、何故この色になったのか……。  実は、私もよく知りません。私は、まさにこのネッカチーフが作られた時に、ボーイ隊に上進したスカウトだったのですが、その由来をきちんと聞いたことはありませんでした。でも、とてもシンプルスマートなデザインは、どこの団のネッカチーフにも負けない!  と自負しております。

 スカウトは、普段は所属する隊や団のネッカチーフを着用しますが、地区や県連盟の合同訓練や、ジャンボリーなどの大会に参加する時には、地区や派遣隊などで統一したネッカチーフを着用します。また、他団や外国のスカウトなどと交流する機会があると、友情の印にお互いのネッカチーフを交換して着用することもあります。長くスカウト活動を続ける中で、様々な機会を通じて増えて行くネッカチーフのコレクションは、そのスカウトにとってとても大切な宝物になります。

湘南地区のネッカチーフ

湘南地区のネッカチーフ

ギルウェルスカーフ

ギルウェルスカーフ

 本団が所属する「湘南地区」は、鎌倉・藤沢・逗子・葉山の三市一町で構成されますが、海と山という素晴らしい活動環境に恵まれています。湘南地区のネッカチーフは、青い海とその上に浮かぶヨットの白い帆をモチーフにした鮮やかなデザインです。ベンチャーやローバーたちが地区単位でまとまって奉仕活動を行うような時には、この「湘南チーフ」が貸与されます。

 指導者が着用するネッカチーフで特徴的なものに「ギルウェルスカーフ」があります。これは、隊指導者の上級訓練機関である「ウッドバッジ実修所」を修了すると授与されるもので、全世界共通のデザインです。カーキ色の地味なスカーフの後ろには、小さなタータンチェックのパッチが縫い付けられていますが、これは、1919年にB-P卿が最初の「ウッドバッジコース」を開設した時に、ロンドン郊外に訓練場の用地を提供してくれた「マクラーレン家」への感謝の印として、同家の「キルト紋様」(日本の「家紋」と同じような意味があるといわれています)のスカーフを用いたことが始まりです。この訓練場を「ギルウェルパーク」といい、今でも世界中から多くのスカウト指導者が訪れる、指導者研修のメッカです。

 スカウトや指導者のユニフォームを華やかに彩るネッカチーフですが、それぞれのデザインには、スカウト運動の歴史や、団・隊の伝統、郷土の誇りなどの意味が込められていて、単なる「ファッション」ではありません。

 昔のスカウトは、朝、ネッカチーフの先端に結び目を一つ作って家を出ました。そして家に帰るまでに何か一つ良い行ないをすると、この結び目を解くことができたのです。これは、スカウトのスローガン「日日の善行」の実践を常に念頭においてのことです。
 最近はほとんどお目にかからない、「チーフの結び目」ですが、その目立たない小さな結び目には、スカウト活動の大切な原点があります。今度、私がスカウト諸君の前に立つ時には、えんじ色のチーフの先に小さな結び目を作ろうと思います。でも、帰るときにもまだ結び目があったら……。 ちょっと不安です。

(GL:たいま)

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